研究者インタビュー

「身体的に豊かな生き方」を楽しむために

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仙台大学 体育学部 教授
専攻=スポーツ史
中房 敏朗 先生

古い地図の中にスポーツの歴史を探る

  ご覧の通り、私の研究室には様々な古いスポーツ用具があります。そのラクロスのスティックは19世紀以前のものですし、今とは形の違うこの卓球のラケットは、どうしても欲しくて結構なお金を出して買いました。収集は研究のためでもありますが、実は自分の趣味でもあります(笑)。

 私のコレクションは日本では珍しがられますが、欧米ではスポーツ用品のアンティークが、生活やマーケットに根付いています。優れた古い焼き物が、実用的な価値を超えて高く評価されるのと全く変わりません。古いスポーツ用品に価値を認めるかどうかということは、実はスポーツを文化として見るか否かという問題に深く関わっています。学問や芸術と同様、スポーツも歴史に学び、未来に伝えるべき大切な文化なのですが、こうした意識が高まってきたのは、日本では近年のことです。

 昨年の12月、「仙台市 : スポーツの史跡を訪ねる」という題で市民向けの講座を行いました。今の八木山動物公園は、かつて野球場などのスポーツ施設があった場所です。1934年にはベーブルースを含む米国の選手たちが来て、日米野球が開催されました。勾当台公園にある、谷風像はご存じでしょうか。江戸時代の1700年代後半に活躍した大横綱で、今の仙台市の出身です。幸いこうしたお話が受講者の皆さんに好評でしたので、今度は「せんだい豊齢学園」でお話をすることになっています。

 しかし地方のスポーツ史研究は、まだこれからの段階です。私は今、仙台の古い地図を集め、スポーツ施設を見つけては記録するという作業に取り組んでいます。かつて市の中心部にあった競馬場や自転車トラックは、今は跡形もありません。しかし地図から拾い上げてまとめることで、街の再発見につながればと思っています。歴史が明らかになることで市民的な関心が高まり、そのことによってまた忘れられた歴史が掘り起こされるという好循環を期待しています。

 このように私の研究するスポーツ史は、ルールや用具の移り変わりを調べるだけでなく、社会のあり方や他の文化との関係を明らかにする学問です。実はスポーツの起源については、地域社会の一体感を作り出すための宗教的な祈りや踊りから発生したという「宗教起源説」の他に、遊びや労働を起源とする説などがあって、確定はしていません。

 しかし発生当初から、スポーツは個人的な営みではなく社会的な営みであり、その時代の社会のあり方と深く結びついた文化であることは確かです。

 スポーツのとらえ方によっては、その歴史はまだ100年から200年ほどしかないと言うこともできます。私たちが今したり見たりしている主なスポーツは、近代社会が成立し、それまで貴族だけのものだった文化が一般に開放されたことによって広まり、その過程で現在のような形になってきたからです。

スポーツ史の中の女性たち

 スポーツの歴史における大きなテーマに「スポーツとジェンダー」があり、これが私の主要な研究課題の一つです。「ジェンダー」とは、生物としての性差に対して、社会的に作られた性差のことを言います。

 古代ギリシア・ローマでは、大勢の観客を収容できる巨大なスタジアムが建設され、「見るスポーツ」が確立しました。これは、人口規模の大きい都市が形成されたことによります。しかしそこで競技や観戦をしていたのは、当時「市民」として認められた男性だけです。彼らは政治、戦争、学問、音楽、そしてスポーツなど、貴いとされていたものを全て独占していました。これに対し、労働や家事・育児など生きるために直接必要な営みは、みな価値の低いものとされ、下の階級の人々や女性が担っていたのです。こうした状況は中世になっても基本的には変わりません。この時代の典型的なスポーツは、王宮で行われていた騎士による馬上槍試合でした。このように、かつてスポーツは上流階級のものであり「男のもの」だったのです。

 近代社会が成立すると、時間をはじめ、社会全体が管理を徹底する方向に進みます。これにあわせて、スポーツもルールの運用や道具に関する規定が厳密化されます。一方で近代化によって労働の価値が飛躍的に高まり、労働が女性よりも男性のするべきこととして認識されるようになりました。しかし家事・育児は、相変わらず価値の低いもの、女性がするべきこととして家庭の中に閉じ込められたままになります。

 スポーツはどうでしょう? 特定の階級のものだったスポーツは、19世紀になると広く行われるようになります。しかしなお、女性はレジャーとして楽しむことはできても、公式試合に参加することは許されませんでした。近代オリンピックの第1回は1896年に開催されましたが、20世紀を目前にした1900年の第2回のパリ大会から、初めて女性選手が登場します。種目はテニスとゴルフ。理由はスカートを着用して競技できるからで、女性が参加できる種目は、服装優先で決まったのです。

 その後欧米ではスポーツをする女性が増え、レベルも高まります。日本の動きははるかに遅れますが、1964年の東京オリンピック・女子バレーボールで日本が金メダルを獲得したことで、女性のスポーツが広く認められるようになったと言ってよいでしょう。

 今では女性がスポーツをすることやプロとしてプレーすることは、当たり前だと思われています。しかしスポーツの世界に女性が公式に受け入れられるようになってから、まだ100年ほどしか経っていません。そして女性が大会や競技団体を運営する側、つまり役員としても男性と対等に活躍するようになるのは、これからだと言わなければなりません。

音楽のように暮らしにスポーツを取り入れる

 私自身は小学校でソフトボールをし、中学からはブルース・リーの映画やマンガ「空手バカ一代」に影響されて空手に熱中しました。空手のような武道もスポーツだと考えることもできますが、やはり人類史的な広い視点からの研究は遅れていますし、一般的な関心もまだまだ低いのが現状です。

 しかし競技や試合だけがスポーツではありません。誰にでも、体を動かすことで氣持ちよさを感じたり、氣分を転換したりできたという経験があるでしょう。これは、音楽を聴いて氣分が良くなったり氣分転換したりするのと変わりません。私はスポーツも、音楽のように、多くの人の生活に自然にとけ込み、性別や年代をあらためて意識することなく楽しんでもらえるようになることを期待しています。広くとらえれば、日常的に歩いたり体操したりすることも、立派なスポーツです。

 そしてスポーツには、健康を維持・向上させる効果もあります。自分のライフスタイルに合った形でスポーツを生活の中に取り入れることは、物質的な豊かさや精神的な豊かさと並ぶ、「身体的な豊かさ」につながると言って良いのではないでしょうか。「身体的な豊かさ」とは、身体が年齢に応じ、調和した状態にあることです。そのためには体のバランスが取れていることと、自分の体についてよく知っていることの両方が必要です。

 私たちは体を動かす時も、つい勝敗や記録、あるいは体重を何キログラム減らしたなどの、客観的な目に見える成果を求めがちです。しかし体を動かすこと自体が氣持ちよいであるとか、同じ動きでも力をセーブして行えるよう工夫するといった、主観的な価値をもっと大切にするべきだと私は思っています。

 高齢化社会になった今、年をとってからも運動を継続し、身体的にも豊かに暮らすためには、そうした目に見えないものの価値をいっそう大切にするべきです。伝統的な武道や日本舞踊では、年をとるほどに技能が向上して神髄に近づくという考え方があり、高齢者が師匠や先達として尊敬を集めます。子どもや若者には難しい、こうした「自分の身体を見つめ、知る喜び」を、ぜひご自分のものにしていただきたいと思います。

 体を動かすことに「正解」はありません。スポーツを、外から与えられるものではなく、自分で生み出すものとしてとらえ、自己表現・自己実現のためにも、多くの方に親しんでいただきたい。それが「身体的に豊かな生き方」ということなのです。

(取材=2010年8月5日/仙台大学A棟3階・中房研究室にて)

研究者プロフィール

仙台大学 体育学部 教授
専攻=スポーツ史
中房 敏朗 先生

(なかふさ・としろう)1962年大阪府生まれ。奈良教育大学卒業。奈良教育大学大学院修了(保健体育専修)。教育学修士。仙台大学講師、助教授を経て、2009年より現職。

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