研究者インタビュー

学校給食を教育の機会として活かすために

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学校給食で食育は行われているでしょうか?

 宮城教育大学で教員養成に携わったことから、学校給食に深い関心を持つようになりました。小中学校で出されている給食は、「栄養の補給」という戦後間もない時期の目標が基本的には満たされたことから、今では廃止したりコスト削減のために民間業者に委託したりする動きが広がっています。

 1954年に制定された「学校給食法」は3年前(2008年)に大きく改正され、新たに「食育の推進」が主な目的として掲げられました。食事への正しい理解、健全な食生活を送るための判断力、望ましい食習慣の涵養(かんよう)など、条文にはたいへん良いことが書いてあります。2005年には「食育基本法」が、翌年には「食育推進基本計画」が制定され、食文化を継承したり、食を通じて地域を理解したりすることの大切さを子どもたちに伝えるイベント等も、数多く行われるようになりました。

 ところが肝心の学校現場では、実際にはきちんとした給食を活用した食育は十分行われていません。給食という、これ以上ない具体的で素晴らしい教育の機会がほぼ毎日あるのに、給食が単なるお昼ご飯となっていることが多くなっています。先生はマナーについて注意し、「調理をした人、食材をつくった人への感謝の氣持ちを持ちましょう」と呼び掛けますが、「いただきます」「ごちそうさま」の意味が十分に伝わらず、挨拶言葉になっています。食べ物という植物や動物の命をいただくという意味が十分伝わっていないのが現状です。

 「子どもはおいしく楽しく食べられればそれで良い」「大人になれば自然と食べ物に氣をつけるようになるし知識も身に付く」など、食育そのものを不要だと考える人もいます。「残さずによく噛んで食べることが大切」「栄養のバランスを考えた献立になっていることを理解させたい」というように、食育を健康の問題に限定して考えている教員も少なくありません。

 たしかに子どもと食の問題が最初にクローズアップされたのは、肥満や栄養の偏りだったり、朝食を抜いたり極端に痩せたがったりといった、健康の問題からでした。しかし一方、食はすぐれて高度な文化であり、本質的には「他の生きものの命をいただく」ことなのです。生産者の労働がなければ目の前の食べ物はあり得ないこと、農業が自然との共生なしには成り立たないこと、安くて便利な食事を追求するうちに食料自給率が低下し、食糧の高騰や禁輸に対する備えがない国になってしまっていること。これらを本当に理解している人は、大人にもほとんどいません。親の中には給食の献立表を見たことがない人、つまり自分の子どもが何を食べているのか無関心な人や「給食費を払いたくない」と言う人までいます。子どもへの食育を通じて、食を大切にする意識を家庭に、大人たちに広げるべきではないでしょうか。
 

家庭の食事の見本にもなる今の学校給食

 もちろん給食以外でも、学校で子どもたちに食の基本的な知識や食の持つ意味について学んでもらうことは可能です。家庭科の調理実習は、皆さんよくご存じでしょう。また社会科では、農業について学び、流通について調べ、食べ物がさまざまな仕組みやプロセスを経て食卓の上に並ぶということを理解するための授業が行われています。小学校の総合学習の時間に、稲や野菜の栽培を積極的に行っている学校もあります。

 しかし週に5回、年に180回、小中学校で9年間にわたって子どもたちが実際に食べる給食こそ、食育の貴重な機会です。家庭科や社会科の授業内容も、学校で実際に食べている給食と結びつけて指導できれば、教育効果が高まることは言うまでもありません。

 宮城教育大学には、「学校給食」という講義があります。実はこれは教員養成のカリキュラムにはない独自のものです。必修ではありませんが、一般教養科目なので、かなりの割合の学生が受講しています。講義の内容は大きく4つに分かれていて、「学校給食の歴史と現状」「食生活の現状と課題」「食の生産・流通・消費」「食と健康」の順に進められます。食は非常に幅が広く、また奥の深いテーマです。15回の授業のうち私が単独で受け持つのは2回程度で、今年度は全部で6人が交替で担当しました。大学の教科専門の教員だけでなく、保健管理センターの医師教員や、非常勤講師の栄養教諭によって、それぞれの専門家に授業をしていただいています。

 私たちの大学からは、学校給食の重要性を学んだ学生たちが、教育の現場に出て行っています。あらためて時間を取る必要はありません。指導とは、例えば食べながら、その日の献立について食材の生産地や旬について話をすることです。あるいは安全でおいしい食べ物を、生産したり調理したりすることの大変さや喜びについて語ることです。また、給食の献立を管理している栄養士や、調理員、また2005年に制度が始まった栄養教諭と連携して、正確な知識を伝えることです。

 米飯給食が実施され、1986年に週3回以上が国の目標とされるようになってから、学校給食の質は大きく向上しました。「パンと牛乳」に比べて多様な食材の利用と調理法が可能な上、伝統的な和食が健康に良いという認識も広がっています。今の学校給食は、おいしくてバランスがよくてバラエティ豊かなメニューを、限られた予算で実現する見本のようになっていると言っても過言ではありません。配膳室の前に給食のレシピを用意し、これを持ち帰った子どもやその家族が、家でも料理ができるようにしている学校もあります。

先人の知恵に学んで食と環境の未来を考える

 福島県の熱塩加納村(あつしおかのうむら)(現在は合併して喜多方市)では、その日の給食に使われた食材を、収穫されたままの姿で校内に展示することで、旬や調理技術についての子どもたちの関心を高めていました。地元で取れた野菜を給食に使い、「トマトの時期は終わりなので、明日からしばらくは給食に出ません」といった校内放送を行う学校もあります。

 子どもたちが作った野菜で「自給自足の給食」を目指す取り組みや、あえて給食を休み、子どもたちが自ら買い物や調理をした弁当を持ち寄る「弁当の日」を設ける試みにも注目が集まっています。給食を残さず食べるよう強制するのではなく、むしろ、ひじきのような家庭でも子どもが自分から進んでは食べようとしない献立を、丁寧な説明をしながら配膳することで食べてみようという氣にさせ、味覚の幅を広げようと頑張っている先生もいます。

 学校給食は、食について学ぶための最高の機会です。いろいろなものを食べる経験ができ、食べ方や食べる量に個人差があることを理解し、食べ物の旬や季節に対応した人間の暮らしのリズムを知ることができます。また、食物の素性に関心を持ち、調理や加工や保存の技術を知り、食べ物と健康の関係を意識することもできます。給食を通してこうしたことが学べるよう、学校や自治体、そして国は、もっと積極的に取り組むべきではないでしょうか。

 私の専門は、人間の生産活動や経済活動を扱う人文地理学です。グローバル化が進んだ現代は、食べ物も工業製品のように「労働力の安い所で作り、高く売れる所で売る」ことが当たり前になっています。しかし私は、人間がいかに地域ごとの環境を活かし、また環境に合わせて生きてきたかという、地域社会の構造分析をテーマにしてきました。

 仙台をはじめとする東北地方には、「いぐね(居久根)」と呼ばれる屋敷林が多く見られます。防風、防火、用材、食材に活用されてきた居久根は、資源を大切にし、自然の循環やバランスを尊重して生きてきた先人たちの、知恵の宝庫です。「持続可能な社会システム」を構築する必要に迫られている私たちにとって、居久根に学ぶべきことは少なくありません。私は学生たちと「仙台いぐね研究会」を組織し、小学生が居久根の暮らしから環境や農業について学ぶ「体験学校」の運営などを行ってきました。

 食について考えることは、私たちがどんな社会を選択するかという問題とつながっているのです。給食を通じて、市民の皆さんが食や自然環境に、より深い関心を持ってくださるよう願ってやみません。

(取材=2011年3月2日/宮城教育大学5号館3階社会科実験実習室にて)

研究者プロフィール

宮城教育大学 教育学部 教授
(人文地理学)
小金澤 孝昭 先生

(こがねざわ・たかあき)1952年東京都生まれ。東京都立大学理学部卒業。東京都立大学大学院理学研究科博士課程単位取得。博士(農学)。宮城教育大学講師、助教授を経て、1998年より現職。

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