研究者インタビュー

心理学的には集団が個人より賢明とは言えない

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心理学の立場から紛争に光を当てる

 心理学は、市民の皆さんにとっても関心の高い学問のようです。東北大学の学生たちもそうで、文学部は2年に進級する際に専門を選ぶのですが、心理学は毎年希望者が定員を上回っています。学校にスクールカウンセラーが入るようになったこともあって、かつてに比べると、心理学を身近に感じていただいているのでしょう。また東日本大震災でも、心理学を学んだ専門家が、被災された方々の心のケアにあたってきました。しかし実は、カウンセリングなどを行う「臨床心理」だけが心理学ではありません。

 心理学は、実はたいへん幅の広い学問です。個人の心の問題を扱うだけでなく、私たちの暮らす社会のありとあらゆる場面が、心理学の研究対象になると言っても過言ではありません。臨床心理のように個人の心を研究する心理学に対して、複数の人間の心の動き、集団の心理を対象とするのが、私の専門である「社会心理学」です。

 マラソンでは、最後まで競り合いが続いた場合と、途中から独走する選手が出た場合とでは、しばしば前者の方に良い記録が生まれます。選手は本来どんな展開でも自分の全力を尽くしているはずですが、これは競争が、心理的に良い効果をもたらした例だと言うことができるでしょう。周囲に人がいる方が勉強もはかどったり、大勢でご飯を食べると美味しく感じたりするのも、集団ならではの心の動きです。社会心理学とは、例えばこうした心理を科学的に解明しようとする学問なのです。

 私は社会心理学の中でも、特に紛争や葛藤について研究を重ねてきました。しかし紛争・葛藤にもいろいろあります。指導してきた大学院生たちの関心は非常に幅広く、いわば「戦争から夫婦喧嘩まで」が、私たちの研究対象になり得るのです。

 社会心理学には大きく2つの系譜があって、集団を社会学的に扱う研究を「マクロな社会心理学」、主に個人対個人の関係を扱う研究を「ミクロな社会心理学」と呼んでいます。民族間や国家間といった集団間の葛藤についてはマクロな、夫婦間や友人間の葛藤についてはミクロなアプローチを行うことになるわけです。その中間的なアプローチを行うこともあって、例えば上司と部下の関係といった組織内葛藤の問題がこれにあたります。

 平和・戦争という大きなテーマに対しては、政治学、歴史学などさまざまな学問分野から光が当てられてきました。それでは社会心理学の立場からは、平和・戦争についてどういうことが分かるのでしょうか。

集団になるとブレーキはゆるむ


 第一に社会心理学では、「人の集団は黙っていても対立する」という考えが支持されています。なんら合理的な根拠のない、任意の分け方であったとしても、人は自分と同じグループに属する人に親近感を抱き、もう一方のグループに対抗意識を覚えてしまうのです。これを「内集団びいき」と呼びます。健全な競争意識で切磋琢磨しているうちは良いのですが、何かをきっかけに対立が深まると、たちまちエスカレートして「相手は悪だ」という猜疑(さいぎ)心にとりつかれてしまうことが多いのです。

 これは実は、個人心理である「自尊心欲求」に基づいています。私たちは誰でも「自分には価値がある」と思っていますし、そのことを他人に認めてほしいと願っているものです。人間の持つ、基本的な欲求であると言ってもよいでしょう。そして人は、「自分が属している集団」に、自分の価値の根拠を置こうとします。個人の自尊心は、属している集団の地位の高さによって満たされる、ということがしばしばあるのです。

 例えば海外で日本のサッカー選手が活躍すると、わがことのようにうれしく、また誇らしく感じます。もちろん、自分や自分の属する集団にプライドを持つこと自体は問題ありません。しかしそこには、必ず他の集団と張り合う氣持ちが隠れています。このことを、集団をまとめる責任者、国や民族であれば為政者はよく知っていなければなりません。ひとたび「愛国心」が燃え上がると、それを制御することは非常に困難なのです。

 第二に私たちは、個人の場合には抑制される自尊心の表明が、集団になるとブレーキが利かなくなるということも知っておく必要があります。個人では「自分はすごい」と口にしない人でも、集団として集まると「自分たちの集団はすごい」と思ってしまうし、口にしてしまうのです。これが時に他の集団を劣ったものとみなすことにつながり、ひいては平和を脅かす素地になっていきます。

 先の大戦での行為から、日本は政治家の発言などが近隣諸国から批判を受けやすい立場にあります。しかし、これがブレーキとして利いてきたために、深刻な事態を招かずに済んできたと考えることもできるのです。

 先ほど、たとえ合理的な理由のない分け方であっても「内集団びいき」が起こる、とお話しました。実は現代の私たちが当たり前だと思っている国や民族といった枠組みも、歴史を見れば、偶然や政治的な判断によるところが大きいことは明らかです。アフリカの国境線の引かれ方などは、その典型だと言うことができるでしょう。

“三人寄れば文殊の知恵”は心理学的には疑問

 第三に、集団の決定は個人の決定よりも正しいと思われがちですが、これは社会心理学の研究によれば否定されています。集団の意思決定は、個人の決定よりも慎重ではない方向、リスキーな方向に流れる傾向にあります。集団では、リスクを軽視した楽観的で景氣の良い意見が出ると、迎合が起こるからです。

 仮に「同じくらいの賢さ」の人が五人いたら、議論はしても、最後の決定は一人でした方が間違いが少ないことが、実験や研究から明らかになっています。“三人寄れば文殊の知恵”という言葉がありますが、社会心理学的には大いに疑問です。もちろん、情報を集めて分析するには人数が多い方が有利でしょう。しかし決定は別です。合議制による決定は個人の決定に質で劣るだけでなく、責任の所在という点でも問題が大きいのです。これは政治体制や企業をはじめとする、日本の多くの組織が持つ弱点でもあると言えるでしょう。

 社会心理学の中でも、紛争や葛藤を扱う研究は、まだ新しい分野です。厳密な意味では、「平和の心理学」や「戦争の心理学」は、まだ確立しているとは言えません。しかし2001年にニューヨークで起こった「9・11」以降は、急速に注目を集めるようになりました。欧米の心理学者の中には、紛争の現地に赴いて研究し、解決に寄与しようとする人も増えています。

 東北大学でも、紛争の解決をテーマにシンポジウムを開催し、北アイルランド紛争の問題に取り組んでいる米国の研究者を招いて報告を聞きました。一人は、対立している集団間でも、個人レベルでの友好的な接触が増えれば、たとえそれが友人・知人を介した間接的なものであったとしても態度の軟化につながると報告しました。一方で、異なる民族が混じり合っている地域に住む人々は、同じ民族が固まっている地域に住んでいる人々に比べて、日常的に感じているストレスが高いという発表も行われました。

 多くの外国人が暮らし、働くようになった「国際化した日本」の今後にとって、前者は希望が持てる報告です。しかし後者は、私たちがこれから考えなければならない問題の難しさを示していると言えるでしょう。

 紛争を避け、あるいは平和を維持するために社会心理学の立場から言えるのは、「まず互いに譲ろう」ということです。集団同士の紛争は「0か100か」という議論に傾きがちですが、相互の譲歩なしに解決することは絶対にあり得ません。

 これまでは政治の意思決定に心理学者が参画して意見を述べたり、社会心理学の知見が国際紛争の解決のために活用されたりすることはほとんどありませんでした。しかしこれからは国際紛争に限らず、東日本大震災によって発生した問題の解決策を検討する場など、政治的な場においても、心理学の立場から発言する必要があると考えるべきなのかもしれません。

(取材=2011年5月25日/東北大学文学研究科研究棟2階・研究科長室にて)

研究者プロフィール

東北大学大学院 文学研究科 教授
専攻=社会心理学
大渕 憲一 先生

(おおぶち・けんいち)1950年秋田県生まれ。東北大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程中退。博士(文学)。東北大学文学部助教授などを経て、1997年より同教授、2000年より現職。著書に『謝罪の研究:釈明の心理とはたらき』(東北大学出版会)、『攻撃と暴力:なぜ人は傷つけるのか』(丸善ライブラリー)など。

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