研究者インタビュー

日本語を教えると文化の違いが見えてくる

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女性が多く活躍する日本語教師

 テレビドラマにもなったコミックエッセイ『日本人の知らない日本語』をご存知ですか? 日本で生活する外国人はかつてに比べて大きく増えましたが、そうした、日本語を母語としない方々に日本語を教える日本語教師の物語です。この本がヒットしたおかげで、日本語教育への関心が高まったことは素直にうれしいです。私は大学で、その日本語教師を養成する仕事をしています。

 日本語教師には、女性が海外で活躍できる仕事としても注目が集まっているようです。本学では、日本語教員養成課程の1期生が、この春大学院から巣立って行きました。国内だけでなく、韓国の大学の日本語教師になったり、ロシアやベトナムで教えたりする予定の卒業生もいます。

 私自身も大学で日本語教育を学び、大学院修了後、まず東京と仙台の日本語学校で教壇に立ちました。その後、北方領土の択捉島で幅広い年齢層のロシア人に日本語を教える機会を得て、ぜひ本格的に国外で仕事をしたいと思うようになったのです。幸いにも韓国で5年間、高校生や大学生に日本語を教えることができ、帰国後、本学で教師の養成にあたることになりました。現在も東北大学で、中国、ドイツ、フランス、台湾などから来た留学生に日本語を教えています。

 最初は、中学生になって英語の授業が始まり、外国と外国語に興味を持ったことがきっかけでした。姉が海外文通していたことに影響されて自分も始めたのですが、同世代の外国人に英語で書いた文章が通じ、返信を受け取るうれしさと楽しさは格別でした。同時に5、6人と文通し、クラスの友達にも広めた思い出があります。ただ、書く方は英語の例文集を見たりして何とかなりましたが、受け取った手紙を読むのは大変でした。よく英語の先生に翻訳していただいたものです。

 文通の相手は、アメリカやオーストラリアといった、英語を母語とする人々だけではありません。ハンガリーの子と文通したときは、お互いに母語ではない英語を使って、たどたどしいながらも分かりやすい手紙のやり取りを楽しみました。私はよく手紙に、日本語ではこう言いますとかこう書きますとか記したのですが、文通相手がそれをまねて日本語を書いてきてくれた時は感激しました。

 こうした体験から、将来は国際的な仕事をしたいと思うようになります。日本語教師という仕事があることを知ったのは高校生の時で、ちょうど日本の大学に日本語教員の養成課程が設立され始めた時期でした。女性が多く活躍しているということにも励まされて、進路を決めたのです。

教えると見えてくる日本語の特質

 日本の学校で日本語を教える「国語」と、「外国語としての日本語」を教える日本語教育はだいぶ違います。国内では、いろいろな国籍や母語の方をいちどに教える場合がほとんどです。従って、最初から日本語を使って教えます。実物や絵や動作を示して「日本語で何と言うか」というところから始まり、少しずつ単語を覚えてもらって、日常会話や文法へと発展させて行くわけです。

 これに対して国外では、初学者を対象とした場合、基本的にはその国の言葉を使って日本語を教えることが多いです。韓国をはじめとするアジア圏を中心に、世界中の学校で日本語が教えられていることは、日本では意外に知られていません。そうした学校では、日本の学校で日本人の先生が英語を教えているように、その国の先生が日本語を教えています。なお、日本語を日本語で教えることを「直接法」、媒介語を使って教えることを「間接法」と言います。

 日本語を教える難しさと、日本語を学ぶ難しさは裏表の関係です。他の言語と違う日本語ならではの難しさとしてまず挙げられるのは、やはり敬語でしょう。たとえば韓国語にも敬意を表す表現はありますが、使う言葉は年齢の上下関係によってほぼ決まります。ところが日本語では、内部での上下関係に、内と外での使い分けが加わります。社内では尊敬語で話すべき上司を、社外では敬称を付けずに紹介したり、謙譲語を使って先方と話をしたりするのが正しいということになります。日本語を母語としない学習者は、こうした実際の運用で苦労しているようですし、教える側にとっても説明が難しい点です。

 また日本語には、「おかげさまで」「わざわざ」「せっかく」など、相手を氣遣う言葉が多いという特徴もあります。私は、こうした相手への配慮が感じられる言葉には、日本語ならではの美しさがあると思います。しかし婉曲的な表現を使ったりする際には、互いに相手の言葉の背後にある考えを読み取り、暗黙のコミュニケーションを交わす必要があります。たとえば「考えておきます」のようなはっきりとしない返事は、実は否定の意味を表している、という場合です。「相手を傷つけないように」という氣持ちから出たとしても、日本語を母語としない方々にとって、理解することは困難です。

 このように、単語の本来の意味にかかわらず、どのような文脈で発せられたかによって伝えられる意味が異なってしまう例が、日本語には少なくありません。日本語は文脈依存度が高い「高コンテキスト(文脈)」な言語であるのに対して、英語やドイツ語は「低コンテキスト」な言語だと言うことができるでしょう。

日韓の高校生の交流を仲立ち

 以上のように、日本語教育の面白さの一つは、あらためて日本語の特質、またその背後にある日本文化の特質に氣づくことができる点にあります。日本語や日本文化を、日本語を母語としない方々の目で見直す面白さと言っても良いかもしれません。日本語を教えるためのテキストには、何色を「なんしょく」と読むときは色の数を聞いているが、「なにいろ」と読むときは色の種類を聞いている、といった説明があります。教えることで、普段は無意識に使っている日本語が、実はたいへん豊かで繊細な言葉であることに氣づかされるわけです。

 また、異なる言語を母語とする方々とのコミュニケーションで世界が広がることも、日本語教育の面白さです。韓国で若者に日本語を教えたときは、初対面でも「結婚していますか」などプライベートなことをどんどん聞いてくるので驚きました。韓国人は「互いに親近感を持つために根掘り葉掘り聞くのは当然だ」と思うようですが、授業では「日本人はいきなりだとそれを失礼だと感じますよ」と教えます。しかし私自身は、そんな韓国人の人懐っこいところが大好きになりました。

 韓国の高校では英語に次ぐ第二外国語として日本語を学ぶ生徒がとても多く、「韓国人にとって、日本語は世界一易しい外国語だ」と言えそうです。日本の高校生にも韓国語を学んでほしいと思うようになりましたが、今は大学の系列の高校で、希望者に韓国語を教えています。実際にインターネットのテレビ電話を通じて韓国の高校生と交流したりするうちに、互いの文化への理解を深めてくれているようです。

 大学での指導では、毎年名古屋にある南山大学への研修旅行を行って、おもに欧米からの留学生と交流する機会をつくっています。留学生に「日本人には自分の意見がない」などと言われてショックを受けることもあるようですが、互いにコミュニケーションスタイルの違いを認め、歩み寄ることの大切さを学ぶ、貴重な機会になっています。

 近年は日本語教育に興味を持つ方が増え、職業以外にも、ボランティアとして教えている方も多くいらっしゃいます。私は今、学校の休み期間などに石巻に足を運び、ボランティアの日本語教室に関わるなどの活動もしています。しかし普段日本語を使って生活していることと、日本語を教えることは別です。教える側の立場から、一方的な態度を取ることがないように氣をつけなければなりません。特にアジアの国々と日本の間には、歴史上の問題があるという知識や配慮も必要です。

 しかし、市民の皆さんが日本語教育について関心を持ち、日本語や日本文化を見直す楽しみを味わってくださるのはうれしいことですし、学びを通して人のつながりが広がることは楽しいことです。私自身も今は茶道を学んでいますが、学ぶことで、去年よりも、昨日よりも前進していきたいと願っています。
 

(取材=2012年5月17日/宮城学院女子大学 人文館3階・澤邉研究室にて)

研究者プロフィール

宮城学院女子大学 学芸学部 日本文学科 准教授
専攻=日本語教育学
澤邉 裕子 先生

(さわべ・ゆうこ)1974年宮城県生まれ。東京女子大学現代文化学部卒業。東京女子大学大学院現代文化研究科修了。修士(学術)。国内の日本語学校に勤務後、韓国で国際交流基金ソウル日本文化センター専任講師、ソウル大学言語教育院研究員として日本語教育にあたる。2007年より宮城学院女子大学講師、翌年より現職。韓国で日本語を学ぶ高校生と、日本で韓国語を学ぶ高校生を結ぶ交流学習の事例を集めたサイト「隣国のことばと文化を学ぼう – 日韓交流学習事例集」を運営。 

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