研究者インタビュー

被災者を支援している方々の心の健康のために

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避難所訪問で感じたたじろぎから

 大学で精神看護学を教えています。東日本大震災の日は大学の研究室にいて、同僚の車に乗せてもらって帰宅する途中、車内のテレビで津波の被害を知りました。その後の3月中のテレビは繰り返し津波が街を破壊する様子を放映していましたが、そのたびにチャンネルを替えたことを覚えています。直視するのが辛かったのだと思います。

 大学の被災地支援ボランティアに加わることはできませんでしたが、4月に2回、避難所を巡回する精神科医、精神保健福祉士、看護師らによる“こころのケアチーム”の一員として、県内の津波の被災地を訪れました。現地に立って、映像だけでは感じられない壮絶さに言葉を失いました。避難所になっている高校の体育館でも、被災者が衝立もない広い場所で寝起きをともにしている様子に、「自分に何が出来るのだろうか」とたじろいだのを覚えています。

 その避難所の一角の“子どものコーナー”で4~5歳位の子たちと遊んだり、そこを通るご高齢の方々に「看護師の伊藤です」と自己紹介したりしているうちに場に馴染んできたように思いました。血圧を測るのを手伝わせてくださった高齢者から「眠れないのでお医者さんから薬をもらった。眠れたけど、起きた時にふらふらしたので飲む量を半分にしたいがどうか」と相談され、半分にしても大丈夫と伝えるとホッとしたようでした。こうした経験から、自分が自然に対応できる方法で、被災者の方々とお付き合いするしかないと思いました。

 ささやかでも顔の見える相談活動に携わりたいと願っていたところ、同僚の教員の紹介で、沿岸地域の被災地にある特別養護老人ホームの、スタッフのこころの相談に携わることになりました。昨年6月から、月2回のペースで今も通い続けています。この施設は高台にあり津波の影響はなかったのですが、スタッフは家が流されたり、家族が亡くなったりの被災を受けつつ、何日も帰宅せずに仕事を続けたと聞いています。

 病氣は、身体の場合も認めがたいことですが、「こころのケア」や「精神保健相談」に対しては、“自分には関係ない”という氣持ちが強いように感じます。多分、それは精神疾患に対する誤解や偏見が影響しているのかも知れません。守秘義務を徹底すると伝えて始めた“こころの相談”ですが、開店休業の日もありました。多分、相談しにくい面が影響しているのでしょう。

 相談に来た方は多くありませんが、娘さんを津波で亡くされた40代の女性スタッフのことは印象に残っています。その方が「地震直後に娘から電話が入った。そのときすぐに逃げるように言っていたら助かったかも」と、涙ながらにお話するのを私は聞くしかできませんでした。そして、亡くなった娘さんが笑顔で夢に出てきたと聞き、「娘さんがご家族を応援しているんですね」というとそうだと思いますと、頷いたのでした。2週間後に顔を合わせた時の表情から辛さが軽くなっているように思えホッとしました。「表現してもいいかな」と思った時に表現し、自分の体験を共有できる人に出会うことで、マイナスの体験をプラスにする力が私たちにあることを実感しました。

進んでほしい精神疾患や精神障害への理解

 私は臨床現場で精神科の看護師として長いこと看護をしてきましたから、病んでいる当事者に活用される看護について考えているように思います。昨年の12月、佐賀県で開かれた「日本精神衛生学会第27回大会」における、「東日本大震災における現状と精神衛生」と題されたシンポジウムで、先に紹介した“こころの相談”のことを報告させていただきました。

 そして、被災したスタッフの話を聞き、「今の生活を維持する」「今まで頑張って努力してきた自分を認める」「寝る前にはその日1日の自分を褒める」などを提案していた自分に氣づくことができました。これらは苦境にある場合のもちこたえ方のひとつで、私が青年期危機にある方や特に統合失調症と診断されている精神障害者の“価値づくり”や“生活づくり”に携わってくる中で教えてもらったことと言えます。

 私は、40年以上前の看護学校時代の精神科看護の実習で、患者さんと自分の違いは何だろうと氣になったことを覚えています。そして、卒業後は精神科で働こうと思ったのです。看護学校の教員や先輩とのつながりで、小児精神科病院(東京都梅ヶ丘病院)に勤務しました。しかし、子どものことをしっかり勉強していないため、通信制の大学に入学し学ぶことにしました。その一方で、一緒に働いていた看護スタッフの協力もあり、東京都精神医学総合研究所の医療看護研究室の非常勤研究員として臨床に携わりながら、看護実践から学ぶ学び方を身につける機会を得ました。それから何年か後に、研究所が職場となり、精神科病院で働く仲間たちとの勉強会(看護事例検討)を継続的に行なったり、精神科領域で看護する看護師が自分の臨床経験から学ぶ実践的な「現任教育」に携わったりしてきました。こうした研修会での講師経験やさまざまな健康状態にある精神障害者との関わりに基づいた研究を重ねてきました。その後、縁があって臨床看護を大切にする看護教育をめざす宮城大学で、1997年の開学時から働いています。

 精神看護学は看護の基礎教育の中で一つの科目になって15年という後続の学問です。看護は人が人にかかわる仕事で、患者さんが体験している病氣という“マイナスの体験”を“プラスの体験”にできるような対応が求められていると言えます。患者さんが、その病氣でどんな困り方をしているのかを把握して、治療がどのように経過するのかを分かりやすく示す必要があります。こうした、臨床看護を言語化して精神看護学を確立することも、今の看護大学の教員の役割だと私は考えています。

 精神科領域の制度についても、’87年に患者の人権擁護と社会復帰を柱にした「精神保健法」へ、’95年に患者さんが1人の生活者として地域での生活を促す方向性を示した「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」へと改善されました。さらに、ご存知の方も多いと思いますが、2002年に「精神分裂病」という診断名が、誤解と偏見、差別につながっているとして「統合失調症」に改められました。

 精神保健法以前の我が国では、精神障害者が利用できる施設は精神病院だけと言える状態でしたから、多くの人たちが精神疾患や精神障害を正しく理解することが難しかったと言えます。そのことが精神的な悩みや辛さを表現しにくくしているように思えてなりません。東日本大震災では、本当に多くの方が深く悲しみ、表現しようもない喪失感や絶望感、空虚感、無力感に苦悩しました。それは今も続いています。そして、誰にも相談できずに悩みを深め苦しんでいる方も少なくはないはずです。そうした人たちは、体験を語ることで今体験している苦悩を人間として成長する力に、すなわち生きる力にできると私は信じています。

共に成長できるケア

 震災から1年半が経過し、精神看護に携わる私たちも、改めて「こころのケア」「心の健康」について考えさせられています。私が今、特に氣にかけているのは、スタッフとして、ボランティア(有償も含む)として被災者を支援する方々の心の健康についてです。

 仮設住宅で生活している被災者を訪問する支援者を対象にした研修会で、支援者に求められることについてお話した折に、当然ながら支援者も被災者であることが少なくないことを実感しました。その体験を活かした「私も被災しましたが、私よりずっと大変な思いをなさっていることと思います」等の語りかけにより相手の辛さを分かり合えるのでは、と話しました。また、訪問しても応答がなく困っているという支援者に、「ドアを開けていただけない場合、名刺の裏に“○月○日に参りました、次は○月○日に来る予定です”、と書いて新聞受け等に入れる訪問を続けては」と、伝え続けることを強調しました。

 さらに昨年の11月からは、当大学の精神看護学領域の主催で、「ボランティアのこころの健康」をテーマにしゃべり場を何回か実施しています。震災関係のボランティア活動を行った学生や一般の市民が対象で、こころの健康について私が話をさせていただいた後に、参加者が自分の活動や困っていることを話し合います。参加者は少ないのですが、意義はありますので、続けていくつもりでおり、来る11月にも計画しています。

 看護する側と患者さんとの関係は決して一方的ではなく、共に成長していく関係だと言えます。これは支援する側と被災者、親と子などの関係にも言えると理解できます。今の私は、宮城大学で学生たちに教員に育ててもらったのだと実感しています。ケアは、一方的に看護師がしてあげるものではなく、相互に影響し合う関係の中にあるので。このことは、医療や看護に携わる専門家だけでなく、市民の皆さんにも、ぜひ知っていただきたいと思っています。
 

(取材=2012年8月27日/宮城大学本部棟3階 伊藤研究室にて)

研究者プロフィール

宮城大学 看護学部 教授
専攻=精神看護学
伊藤 ひろ子  先生

(いとう・ひろこ)1948年山形県生まれ。大蔵省印刷局東京病院付属高等看護学院卒業。看護師として東京都立梅ヶ丘病院等に勤務。1981年より東京都精神医学総合研究所の技術部研究員として勤める。1997年より現職。東洋大学社会学研究科博士前期課程修了。修士(社会福祉学)。

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