研究者インタビュー

文系と理系の力を集めて、新たな防災学を生み出す

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震災の翌月には地域復興プロジェクトを立ち上げた

 昨年(2011年)3月11日の午後は、仙台市役所の仕事のため、泉区の宮城県図書館にいました。長く激しい地震が来たのは、図書館から市役所に向かうため車に乗せていただいた直後です。信号機や電信柱が大きく揺れて倒れかかってくるのではないかと怖かったですね。すぐに車内のラジオが大津波の警報を流し始めましたので、これは大変なことになると思いました。

 市役所での会議は中止になって、自分の研究室がある東北大学の川内キャンパスに向かいました。着くと、多くの人が屋外に出ていました。私の入っていた研究棟は、エレベーター棟がへし折れていました。耐震基準を満たしているので安全だと言われていたので驚きました。危険だということで、すぐに立ち入り禁止になりました。数日後にパソコンなど最低限の機器類や重要書類などを運び出しましたが、他の部局から部屋を借りての研究生活が今も続いています。

 一方、私の自宅がある団地には、大きな被害はありませんでした。家族は無事で、室内に物が散乱することもなかったのです。ところがよく見ると家の外壁に大きくひびが入っていたり、屋根が壊れたりしていて、結局は半壊指定になりました。業者が忙しく、ようやく修復できたのは昨年の暮れです。

 団地は昭和30年代にできたためプロパンガスだったのですが、その後都市ガスへの転換が進みました。しかし17年前の阪神・淡路大震災の経験から、都市ガスの復旧が一番遅いことを知っていましたので、実はあえてプロパンガスを使い続けていたのです。幸い断水がなかったため、電氣が復旧した3日目からは、風呂も使えるようになりました。

 東北大学は大きな被害をこうむりましたが、地域の復興と再生に貢献するため、4月には「災害復興新生研究機構」を立ち上げました。大学は地域社会との結びつきが弱いと思われがちですが、東北大学の多くの研究者は、「今こそ自分たちの研究を役立てる時だ」という強い氣持ちを持っていました。

 この「機構」が実現を目指した大きなプロジェクトは、地域医療や情報通信の再構築、海洋環境調査による水産業復興支援、放射性物質の除染対策、地域産業の復興支援など、全部で8つです。その下で100以上のサブ・プロジェクトが稼働し、多くの研究者が参加しました。私自身は、新たな災害研究に、文系・理系の枠組みを、また国境を越えて取り組むというプロジェクトに加わりましたが、これが今年4月の「災害科学国際研究所」の設立へとつながったのです。

「ロゴに込められた想い」は、ぜひホームページにて

震災の4年前から始めていた文理横断型の災害研究

 私は歴史学の研究者で、江戸時代が専門です。まだ日の目を見ていない古文書を探して地方を歩き回り、旧家の土蔵などから見つかった史料をもとに地域の歴史を明らかにするという仕事を続けてきました。今まで定説とされていた江戸時代の全体像が、こうした地道な研究の積み重ねで、大きく変わる可能性があると考えてきたからです。

 ところが2003年に発生した宮城県北部地震で、そういう古い建物がたくさん損壊しました。そこで在仙の研究者や学生に声をかけて大急ぎで現地に入り、4ヶ月で200軒近くの旧家の調査をしました。しかし、訪問が遅れて多くの古文書が処分されたり、消滅してしまいました。この経験をきっかけに、私は災害・防災研究に目を向けるようになります。

 一つは災害に備えて史料の発掘や保存を組織的に進めておくこと。もう一つは史料の中から災害の記録を見つけ出し、できるだけ正確で詳しい事実を明らかにすること。そしてその教訓を今後の防災に活かすこと。こうしたことが必要だと痛感したのです。

 従来、災害・防災の研究は理系を中心に行われていました。地震・津波をはじめとする自然現象のメカニズムの解明や、それに耐えて人命や財産を守る建築物の耐震化や地震・津波警報、堤防の設計などが代表的で、もちろん緊急医療も含まれます。しかし自分が災害・防災というテーマに取り組み始めてみると、法学、社会学、経済学、さらには心理学など、実は文系の中にも災害・防災関連の研究が数多く存在するのに、それが相互に十分に結びついていないということに氣づいたのです。

 「これではいけない」と、私は東北大学の先生方を訪ね歩きました。理系・文系を問わず、災害・防災に関係する研究者が力を合わせれば、きっと実際的な成果を上げて社会に貢献できると考えたからです。東北大学でどのような防災研究が行われているかを外から見えやすくしたい、ということもありました。 この提案に快く応じてくださった19分野20名の研究者で、2007年に「防災科学研究拠点グループ」を立ち上げました。私が代表、津波研究の今村文彦先生が副代表を務めました。

 われわれが想定していた宮城県沖地震をはるかに上回る東日本大震災によって、大きな被害が発生してしまったことは残念でなりません。しかし4年の間に、この文理横断型のグループ連携もさらに進み、文科省のプロジェクトにも採択されて防災研究の基盤もできつつありました。このため「新たな研究所を、このグループを基に創設してほしい」というご指示を井上明久総長(当時)からいただき、多くの部局から応援をうけて災害科学国際研究所が設立されることになったわけです。今年度と来年度で整備を進め、2014年2月には、青葉山のゴルフ場跡のキャンパスに建物が完成します。

実践的防災に向け社会にも世界にも開かれた研究所に

 災害・防災の研究所は、東京大学や京都大学にもあります。しかし東北大学のものは文理連携が大きな特徴で、文系の研究者である私が所長に選ばれたことがそれを象徴しています。

 私たちは今回の震災で「専門分野に閉じこもっていては、社会の期待に応えられる実践的な防災学の研究はできない」ということを肝に銘じました。従って、社会との連携は特に重視しています。研究所には7つの部門がありますが、中でも「情報管理・社会連携部門」は、新たな防災・減災社会をデザインし、災害の教訓を語り継ぐ方法を研究・提案するという仕事に取り組んでいます。各種の貴重なデータを公開するための「東北大学アーカイブプロジェクト みちのく震録伝」というホームページが既に稼働していますので、市民の皆さんもぜひご活用ください( http://shinrokuden.irides.tohoku.ac.jp/ )。

 他の部門もご紹介しましょう。「災害理学研究部門」では、巨大地震のメカニズムの解明や、早期津波予測の高度化を進めています。巨大地震が発生した際、張り巡らせた観測網から送られてくる膨大なデータを高速処理して、できるだけ早く、できるだけ正確な情報を提供することで、住民に具体的な行動を促すことを目標としています。「災害リスク研究部門」では、さまざまな観測データを用いて津波の動きや到達時の津波高、被災過程などを分析しています。地震の規模を想定し、津波で浸水する地域や高さをシミュレーションして、各地で進む復興計画や新たな町づくりにも役立つデータを提供しています。

 また被災地の再生には、地域の状況を的確に把握し、バランスのとれた持続可能な地域として再生していくための調査・計測技術などが必要ですので、「地域・都市再生研究部門」がそうした役割を担っています。災害には救急医療が大切ですが、「災害医学部門」では、それだけではなく感染症対応や災害時医療情報システムの保持や保健衛生システムなど、さまざまな視点から、被災者の命と健康を守るための研究を続けています。
私の研究を含む「人間・社会対応研究部門」では、「被災地支援学」の創成や災害認知、災害文化や資料保存研究などに取り組んでいます。ここですべての部門・分野をご説明することはできません。研究所のホームページをご覧ください。

 研究所には、海外からもたくさんのアプローチをいただきました。研究したい、被災地に入りたいという希望の多さは、災害・防災が、国や地域の別を問わず、切実な研究課題であることを示していると言えます。研究所は現在、11の国、16の大学と連携して研究を進めているところです。

 市民の方々に向けては、来年(2013年)の3月10日に大震災から2年目の報告会を予定しています。また学内で行われている月1回の報告会(第4金曜日、午後4時30分~)は公開しておりますので、ぜひご参加ください。

研究者プロフィール

東北大学 災害科学国際研究所所長
同 歴史資料保存研究分野教授

専攻=江戸時代史・歴史資料保存学
平川 新  先生

(ひらかわ・あらた)1950年福岡県生まれ。1981年東北大学大学院文学研究科博士課程中退。博士(文学)。宮城学院女子大学助教授、東北大学東北アジア研究センター教授などを経て、2012年より現職。『全集 日本の歴史 第12巻 開国への道』(小学館)、『紛争と世論-近世民衆の政治参加』(東京大学出版会)など著書・論文多数。

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