研究者インタビュー

学び合う市民として─女性・男性にエール!

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女性の社会進出は男女両方を幸せにする

 私はいわゆる「団塊の世代」で、10代で高度経済成長、20代前後から大学運動、女性の権利獲得運動であるウーマンリブの時代を経験しています。1975年は、国連総会の決議に基づく「国際女性年」で、男女の平等を目指す政策や活動が世界規模で行われ、「女性の10年」がスタートしました。

 実は日本では、国際女性年の頃は専業主婦が一番多かった時代、それは「性別役割」が固定化した時代でもありました。かつての日本では女性も農家や商家で主要な働き手を務めるのが「当たり前」でしたが、戦後、さらに1956年にはもはや戦後ではないとされて以降、産業構造が変化して都市化が進むと、男性がサラリーマンとして働き、女性は結婚して家庭内役割を担うことが「当然のこと」になっていきました。

 私がお茶の水女子大学の大学院に進んだ際、研究テーマは高齢者問題でした。東京・板橋区の3世代家族を調査しましたが、女性の社会進出にも関心がありましたので、3世代家族の子世代夫婦の働き方に注目しました。興味深いことに、「嫁」が専業主婦にならずに外で働くことに、親世代が理解を示し、むしろ支援していたケースが少なくありませんでした。

 私の研究領域は、家族とジェンダーの社会学です。ジェンダーとは、人間の生得的性別ではなく、社会的・文化的に形成された性別のことを言います。

 結婚し主婦以外になることを考えにくかった女性たちが、収入だけでなく自己実現や社会参加を求めて働き始めたように、家庭や社会で求められる男女の役割は、時代によって変わってきました。もちろん今も変わり続けています。一方で、最初は女性差別の克服を目指す思想・運動を表していたフェミニズムやジェンダー論も、今では「女らしさ」を押し付けられる女性だけでなく、「男らしさ」を押し付けられて苦しむ男性をも解放する思想・運動を含むものへと拡張してきました。

 しかし、女性が不利益をこうむることの多い状況は、今も解消したわけではありません。私は昨年から学部長に就任しましたが、大学でも女性が意思決定に関わる立場になることはまだ少なく、企業や政治においてはなおさらです。ヨーロッパでは女性の議員も多く、特に地方議員に目立ちます。日本の衆議院に、女性はわずか10.8%ほど(世界の平均20.4%)。市民にとって最も身近な市町村議会では、女性議員の割合はさらに下がってしまいます。企業や政治の責任ある立場に、女性がもっと増えるような仕掛け、女性枠の割り当て等ポジティブ・アクションを積極的に取り込むべき時がきています。

 一方、看護師、保育士、福祉職をはじめとする「対人援助職」に従事している人の割合は女性が多く、こうした分野には、男性がもっと「進出」することが望まれます。経済や政治の行き詰まりが問われる日本で、女性がさらに意思決定に関わるようになり、多くの職業で男女の比率差が縮まることは、男女両方にとっての幸せにつながるはずです。

学びの循環─学び・交流・市民活動

 1970年代に登場し、80年代以降盛んになったカルチャーセンターは、時間とお金に余裕がある主婦が集まる所などと皮肉まじりに言われもしましたが、大学に進むことが難しかった時代の女性たちが、趣味だけでなく高いレベルの文化や芸術に触れ、自分自身に向き合う社会参加のきっかけにもなったのです。

 もう一つ見逃せない事が、講座が終わった後の、受講者同士の交流でした。喫茶店などに場所を移して、講座の内容だけでなく地域生活や生き方についての対話が、女性たちの連帯へ発展したのです。特に子育てを終えた専業主婦にとっては、互いに学び合うという、全く新しい喜びを得ることができました。やがてその中からグループが形成され、市民活動という、女性が社会に参加する新たな回路が開かれたのです。

 一方、行政が展開した女性向けの多様な施策の中からも、地域の女性リーダーや学習グループ・社会活動に取り組む団体などが生まれてきます。私のもう一つの専門分野である「成人教育論」において、社会教育の視点から、行動する市民としての女性の社会参加のプロセスを研究しております。

 苦境にある女性を支援することはもちろん大切です。しかし女性が自ら経験をとおして学び合い力をつけること、これを
「エンパワーメント」と言いますが、そのための学習・教育の環境づくりを進めることに大きな意義があります。その重要性は増す一方です。

 女性グループが展開してきた地域に根ざした活動は、今日の盛んな市民活動につながっています。1995年に発生した阪神淡路大震災では、多くの人びとがボランティアとして現地に入り、さまざまな団体が支援活動を行いました。また、その3年後に特定非営利活動促進法が施行されると、NPO法人格を取得した団体が社会的な信用を得て、質量ともに活動を発展させました。今でも市民活動では女性の割合が大きく、活躍が目立ちます。

 私は今年の8月から9月にかけて英国を訪ね、市民が自主的な学習活動を行う団体として「U3A」を調査しました。地域の教育施設を活用し、メンバーが相互に、各種の講座の講師やリーダーとなって教え、学び合うという仕組みです。ここでも中高年の女性が元氣で、男性の姿はそれほど多くありません。

 男性には、女性たちの市民活動に学ぶことを、ぜひ勧めたいと思います。会社組織や肩書きを離れて、一人の市民、地域住民として力を発揮すること、学ぶことで市民としての文化度を高め、交流し、対話し、連帯する喜びを味わうこと、女性たちは男性の参加を待っています。

女子大学だからこその学びの形

 私は子どもの頃、祖母が数ヶ月ごとにわが家や親戚を巡回して生活するのを「幸せなんだろうか」と思っていました。その疑問が、高齢者や家族、そして女性の問題に関心を持つきっかけになったと思います。また、私には一回り年上の従姉がいて、彼女が研究者として自立する姿が、私にとってのロールモデルであり、良いチューターとなってくれました。

 私が初めて仙台に赴任したのは1988年でした。正直に言えば、関西や東京に比べて女性の活動は遅れているなと思いました。しかし、仙台市や宮城県が女性の施策や男女共同参画社会の実現を掲げて事業を展開するうちに、いくつもの自主的な女性の活動団体が生まれ、育っていきました。私も自治体の審議会で委員をして、行動計画や条例づくりに携わり、そうした動きの促進にささやかな貢献をしてきたつもりです。

 人はそれぞれの状況の中で、最善を尽くすことしかできません。私たちの世代は人数が多く、競争は激しかったと思います。一方で豊かさや、社会の発展を実感することができたため、女性の社会参加についても積極的に考えることができたのかもしれません。

 1999年には男女共同参画社会基本法が施行されました。それは、男女の真の平等や、女性の自己決定権が尊重される社会の実現は、まだこれからということです。たとえば、非正規の労働者は、圧倒的に女性が多いという現実があります。しかし、今後の高齢化が一層進む日本社会において、女性の労働力は絶対に必要ですし、女性の能力が正当に評価・活用され、権利が守られるようにしなければいけません。

 私は女子大学で教える立場にありますが、女性のみという教育環境は、評価されるべき特質の一つだと考えています。社会に出る一歩手前の段階で、女性がおかれている現実を伝えつつ、その中で自己実現するための学びを促すことができるからです。

 女性しかいないということは、女性だけで全てを決め、実行し、責任を負わなければならないということでもあります。高校までのように先生は助けてくれませんし、共学のように男性に譲ってしまうこともありません。たとえ失敗しても、その過程で培われた実践力や交渉・コミュニケーション能力は、きっと卒業後の彼女たちにとって役立つことでしょう。しかも女性教員の割合が多く、身近にロールモデルを見いだしうることも、特質として挙げられると思います。

 私は入学時の学生たちにまず「Girls, be ambitious !」という言葉を贈り、卒業後もずっとエールを送り続けています。もちろん平均寿命まで20年以上ある私自身も、足を止めることなく学び続け、活動し続けたいと思っています。
 

(取材=2013年8月20日/仙台白百合女子大学 5号館4階 人間学部学部長室にて)

研究者プロフィール

仙台白百合女子大学 人間学部 学部長・教授
専攻=家族・ジェンダーの社会学/成人教育論
槇石 多希子  先生

(まきいし・たきこ)1949年神奈川県出身。横浜国立大学教育学部卒業。お茶の水女子大学修士課程修了後、(財)日本青少年研究所、仙台白百合短期大学講師を経て、1996年仙台白百合女子大学創設にともない同大学へ。2005年より教授、2012年より人間学部長(現職)。2005年東北大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。著書に『ジェンダーと成人教育』(共著)、『変化する社会と家族』(共著)など。

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