研究者インタビュー

石巻で市民と共に「復興ボランティア学」を

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大学に連絡がつかず仙台で安否確認をはじめる

 2010年4月、石巻専修大学に着任しました。それまで勤務していた大学のあった愛媛県から、仙台に引っ越してきました。それから1年も経たない、2011年3月、東日本大震災に遭遇したのです。11日、私は仙台市内の「パレス宮城野」にいました。理工学部の教授が関わっていた、微細藻培養ビジネスについての事業説明会を聴きにいっていました。スピーカーの1人であった、石巻市長のお話が終わって、次の講演の最中に、突然、大きな揺れが起こりました。

 地震が収まったのを見計らって、急いで自宅に戻りました。幸い家族も住まいも無事でした。しかし石巻との通信が途絶えて大学と連絡が取れません。そこで、仙台在住の同僚教員と話し合って、学生の安否確認を始めることにしました。

 仙台駅にほど近い、ある先生のご自宅の一部を借りて、仮事務所を構えました。緊急事態ということで、石巻まで学生の紙名簿を取りに行き、在仙の教員有志が毎日集まって、携帯電話で安否確認を続けました。東京の専修大学に設置された対策室とも連携し、10日ほどで、9割の安否確認がとれました。その後通信インフラの復活した大学に作業を任せ、3月末には学生・教職員全員の確認が終わりました。残念ながら、在学生と入学予定者あわせて7名の死亡も確認されました。

 大学へは発災から約2週間経った頃に、学生名簿を返却するために訪れました。石巻は言葉にできないほど、変わり果てた姿となっていました。大学は旧北上川流域にあります。幸いなことに、津波の被害は受けず、建物もほぼ無傷だったため、災害対応の拠点となっていました。校舎の一部は避難所となり、構内には自衛隊の車両が走り、グラウンドにはボランティアたちのテントがひしめいていました。施設は無事でも、大学再開のめどはなかなか立たず、結局、新年度の授業が始まったのは6月からでした。

ゼミ学生が他者とのつながりで地域の問題を解決する

 本学の経営学部では、学生は2年次からゼミナールに所属します。5月の臨時ゼミナールでは、石巻で初めて迎えたゼミ生たち13名と、無事に再会できました。

 私の専門は企業家活動です。以前勤務していた大学と同様、学生たちにビジネスプラン・コンテストへの参加や地域の企業との連携など実践的な教育に取り組む予定でした。ところが、私たちの大学のある石巻は、大変な状況になっています。私はゼミ生たちに、今後の方針について問いかけました。その答えは「石巻の復興の役に立ちたい」という言葉でした。

 「プランを考えるだけでなく、実際に人と関係を築いたり、人を動かしたりするのは大変だよ」と念を押しましたが、誰ひとり揺るぎません。実は、私も被災者を無視して、従前の方針でゼミ教育を進めるつもりはありませんでした。学生たちも同じ思いを抱いていたことを知って、安心しました。

 大学の再開と同時に、学生たちは石巻のために何ができるか、考えを巡らせ、話し合いをしていました。しかし、活動方針はなかなか定まりません。やがて、大学の周辺に仮設住宅が建ち並ぶ様子を見て、ターゲットを仮設住宅に絞ることが決まりました。それでも、具体的に何をすればいいのか、見えない状況が続いていました。そんなとき、国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」の鶴田厚子さんが、ゼミに来てくれました。鶴田さんは豊富な支援活動の経験から「まずは現状の把握から始めましょう」と学生たちを諭してくれました。

 7月下旬、学生たちは南境地区の20戸余りの仮設住宅で聞き取り調査を実施しました。聞き取りの結果、学生たちが見い出したのは、「コミュニティ」「買い物」「子ども」という3つの課題です。翌月、この結果に基づいて作成したアンケート用紙を持って、開成・南境地区の調査を始めました。

 大学の学期始めが遅かったため、2週間程度しかない夏休みを返上しての取り組みです。真夏の日差しのなか、熱中症になりかけながら、当時完成していた850戸余りの仮設住宅を1軒1軒回り、アンケートを配布しました。回収も原則として対面です。大変な状況のなか、多くの住民さんにご協力をいただき、半数近くを回収することができました。9月の末には調査結果をまとめ、大学と仮設住宅で調査報告を行いました。この調査報告書は、現在も大学のウェブサイトで公開しています。

 調査の結果、様々なニーズが浮き彫りになりました。震災で仕事を失い、生活の不安を抱えている方。通院したくても車がなく、便利で安価な交通手段を求めている方。隣に音が筒抜けの仮設住宅に暮らし、屋外にも遊ぶ場がないためにストレスを募らせている子どもと、その親たち。どれも切実で、公的な支援が行き届きにくい課題ばかりでした。学生たちは懸命に解決策を考え、収入支援、交通支援、子ども支援の3つの班に分かれて実行に移し始めました。

 石巻市に本社がある「株式会社モビーディック」は、ウェットスーツで有名です。収入支援では、この企業と被災者をつなぎました。ウェットスーツの端切れ生地を使った小物製作の内職があって、仮設住宅の方々に取り組んでもらいました。

 今では内職のレベルを超えて、製造子会社での雇用にまで至っています。そこで働く仮設住宅の住民さんの「収入はもちろん大切だけど、仕事があるということは社会とつながることで、生きがいが持てることだ」という言葉を、学生たちは体験を通じて自分のものにしているようです。

 交通手段の確保という課題には、「日本カーシェアリング協会」の協力をいただきました。最初は自分たちの車で送迎することを考えていた学生たちですが、事故のリスクやガソリン代の負担といった問題がありました。そこで、協会が大学近くの仮設住宅に提供していた車を使わせてもらって、12月から送迎サービスを始めました。この活動は4カ月程度で終わりましたが、仮設住宅の住民さんとの関係を深めることができました。撤退にあたっては、公共交通機関の利用方法を説明したり、同じ仮設団地内で送迎を肩代わりしてくれる人を探したりして、利用者に迷惑がかからないように配慮をしていました。

 子ども支援では、最初は仮設住宅の集会所を利用して、子どもの遊び場づくり活動を始めました。ところが、活発な子どもたちは室内だけでは収まらず、外へ飛び出してしまうのです。しかし、仮設住宅の敷地は安全に遊べる場所ではありません。 そのようなとき、子どものための石巻市民会議や石巻復興支援ネットワークから、「プレーパーク」の手伝いを依頼されました。プレーパークは、子どもたちが自分たちの力で、遊びをつくる場です。大人は見守りつつ一緒になって遊びを楽しんでいました。それを見た学生たちは、大学の広い敷地を使って、子どもたちが安全で、自由に遊べる場を作ろうと考えたのです。

 いまでは「にこにこプレーパーク」と名付けて、1カ月に1回のペースで開催し、延べ700人弱の参加を得ています。この活動は2013年度「住友商事 東日本再生ユースチャレンジ・プログラム─活動・研究助成─」に選ばれました。助成金の50万円で購入した資材や遊具は、ふだんは私の研究室に積み上げられ、狭い部屋をさらに狭くしています(笑)。

 仮設住宅の調査は今年で3年目となりました。私たちの調査は、やりっ放しではなく、実践をするための調査です。今年も調査結果から、体操教室という新しい活動が生まれています。

震災を忘れないために

 石巻専修大学では、2013年の前期に私が中心となって「復興ボランティア学」を開講しました。講師は石巻で活動をしているボランティアリーダーたちです。ボランティアをソーシャルキャピタルとしてとらえ、復興に不可欠なものとして位置づけようという試みです。講座は一般開放し、「誰でも」「いつでも」「1回でも」受講可能という講座にしました。2014年度も開講の予定です。

 被災地ではまだ復興は緒についたばかりで、いまだ多くの人が苦しんでいます。しかし、東京など被災地以外の地域では震災の風化が進んでいます。被災者にとって一番の苦痛は「忘れ去られる」ことです。震災を忘れさせないためには、多くの人とつながることが必要です。私たちは沿岸被災地にある唯一の大学として、つながりの拠点となっていきます。新しい年を迎えて、石巻で活動したことのある大学を集めて、学生同士の交流の場を作ることを計画しています。
 

(取材=2013年11月11日/AER7階・復興大学地域復興支援ワンストップサービス仙台センターにて)

研究者プロフィール

石巻専修大学 経営学部 教授
専攻=経営史(企業家史)、ベンチャー・ビジネス論
山崎 泰央  先生

(やまざき・やすお)1968年神奈川県生まれ。玉川大学農学部卒業。民間企業に勤務後、法政大学大学院社会科学研究科博士課程へ。修士(経営学)。松山大学経営学部准教授、石巻専修大学経営学部准教授を経て、2013年より現職。著書に『ケースブック日本の企業家 近代産業発展の立役者たち』『ケース・スタディー 日本の企業家群像』(ともに共著)など。

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