名著への旅

第34回『春にして君を離れ』

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わたしがこれまで誰についても真相を知らずにすごしてきたのは、こうあってほしいと思うようなことを信じて、真実に直面する苦しみを避ける方が、ずっと楽だったからだ。

 『春にして君を離れ』は、人生の節目に何度も読み返したくなり、読後必ず自分の人生を振り返ってしまう恐ろしい小説だ。主人公のジョーン・スカダモアは48歳の女性であり、弁護士の夫と良き子ども3人に恵まれ理想の家庭を築きあげた主婦である。物語は、バグダッドに住む娘の介抱を終えイギリスへ帰る途中の宿泊所から始まる。偶然再会した女学校時代の友達は年老いて見え、その姿に彼女は優越感を感じる。その後帰りの列車で彼女は足止めを食らい、本の一冊も無い砂漠の中で自らの人生をひたすら回顧する。そして夫の言った言葉の意味、子どもの態度、自分を取り巻く周囲の人間のことを見つめ続けた結果、彼女は思いもしない真相に到達する。

 「自分の望む仕事につけない男は、男であって男でないと。ぼくは確信する。」
 「ぼく、ときどきお母さんって、誰のこともぜんぜんわかっちゃいないって気がするんだ」

 この小説は人も殺さずトリックも存在しないが、自分の過去にあった出来事を紐解いて真相に直面する良質のミステリーだ。是非、読後自分の人生を振り返り、主人公の選択と自分の選択を比較してほしい。「愛情とは何か?」を考えさせる一冊になることを願っている。

(小)

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