編集部だより

見わたせば‘名(めい)’つかぬものなかりけり

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 この記事が皆様のお目にかかるのは、紙版「まなびのめ」創刊準備2号がちょうど発行された頃合でしょうか。より読みやすく、新しい企画や「学び」イベントの充実など、情報も豊富なものになっているのではないかと思います。
 話が出たついでに、新しい連載コラム「名著への旅」についてお話しさせていただきます。
 「まなびのめ」創刊にあたり、編集会議の初頭、編集長よりいわゆる名著探訪的なものを書け、という下命がありました。本を読むことも文章を書くことも嫌いではありませんが、振られた瞬間には「重たいナ」という印象がまずありました。
 第一、自分の読書はまったくの道楽でありまして、積んどこうが、読みさしてやめようが、読みっ放しにしようが、誰に何の文句も言われることはありません。ところが、名著についてのコラムを書くとなったら、俄然様相が違ってくる訳です。
 人の一生における読書量はごく限られたものにとどまるでしょうし、さらにその中にあって、「名著」といわれる本を一体どれ程読んできたであろうか、という入り口のところからして重たい。また、書くからには今一度読み返してみないといけないが、あの本はどこにあっただろうか。探して見つかればいいのですが、既に古本屋さんに鎮座ましましていたりなんかします。過ぎてしまったことはしょうがないと割り切って、いざ書かんと腰を上げてみれば、では名著というものをどういう判断基準でピックアップするのかという問題が次に来て、これもまた重たい。名著……名著……。いろいろ考え込んでしまいます。そもそもこの世の中、「名」と冠されるものが驚くほどあるものです。名所・名刹・名水・名山・名泉・名湯・名物・名産・名花・名木・名器・名作・名品・名刀・名酒・名宝・名人・名士・名言・名将・名君・名家・名句・名盤・名演・名曲……。息切れしてきました。私たちはいかに多くの「名」に取り囲まれて生活しているかが判ります。
 こんな調子で、筆が動き出すまでかなり足踏みした結果になりましたが、所詮自分の読書体験の範囲で書く以外にないと腹をくくって、初回は比較的最近に読んだ「大地」を持ってきました。中国が舞台の小説ということだけは知っていましたが、読んだのは今回が初めてです。先の繰り返しになりますが、もしこの作品を読むこと無く一生を終えたとしたら、私は大変に勿体無いことをするところでした。限られた人生という時間の中で、本当にいい本と出逢う機会が果たしてどれ程持てるか。そう思わずにはいられません。

   見わたせば花も紅葉もなかりけり
            浦のとまやの秋の夕ぐれ
                             藤原定家(新古今集 巻第四 秋歌上)

 これもまさしく「名著」の「名歌」ですね。

「まなびのめ」編集部 佐藤(曜)
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