研究者インタビュー

政治について話すことも主権の行使です

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選挙では「未来の国民」のことも考える

 昨年6月に公職選挙法などの一部を改正する法律が成立し、18、19歳による投票が、夏に行われる予定の参議院議員選挙から実現します。

 選挙は私たちが国民主権を実感できる機会です。日本国憲法の前文や第1条には主権が国民にあると書かれていますが、主権が国民にある(「国家における主権」の問題)とはどういうことを意味するのでしょうか。まず、論理的前提として、国家の主権が成立していなければなりません。

 主権の起源は、中世ヨーロッパで、ローマ教皇を頂点とする教会や封建諸侯や自治都市がそれぞれ権力を握り、権力が分散している状況を克服しようと、領域的統一に乗り出した国王がみずからの権力集中を国家への権力集中として正当化するために主張されたことにあります。そこでは、主権は対外的には国家の独立、対内的には国家の最高・絶対的な権力を意味しました。国家権力自体としての主権と君主の権力を統一的に理解することで、世界史の教科書でお馴染みの、「朕(ちん)は国家なり」という言葉が示すような君主主権が理論化されました。

 フランス革命では、君主の持つ主権を国民が奪い取り、国民主権を確立しました。主権者が多数になると、主権の行使は単純な話ではありません。実際に主権をどのように行使するのかをめぐって様々な議論・学説の対立がありますが、主権行使の正統性の根拠は国民にあり、国民が何らかの権力行使の機会を確保している必要があるという点では、一致をみています。

 現代では、国民主権が当然のように思われがちです。しかし統治権行使する人や機関が、民主的に選ばれているとは言えない国があることは、皆さんよくご存じのとおりです。

 日本もかつては、大日本帝国憲法の第1条に「天皇之(これ=大日本帝国)ヲ統治ス」とあったとおり、国民に主権はありませんでした。1945年8月14日に政府が受諾したポツダム宣言は、日本に民主主義を求めていました。これを受けて憲法の改正作業が進められ、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3原則を持つ、現在の日本国憲法が成立したのです。

 日本国憲法の前文のさらに前には、実は「上諭(じょうゆ)」という、天皇の裁可を示す文章があります。その中で現在の憲法が、大日本帝国憲法の定めに従い帝国議会の議決を経て「改正」されたと明記されていることをご存じでしょうか。今の憲法が敗戦を機に占領下で成立したことは間違いありません。しかし女性が日本の歴史上初めて国政選挙に参加して選出された帝国議会の実際の審議を経たという手続面からすれば、「日本人が作ったのではなく戦勝国の押しつけ憲法だ」とはならないでしょう。

 日本国民とは、日本国籍を持つ者のことです(憲法10条参照)。人の生死によって「国民」は次々と入れ替わっていきます。国民主権にいう「国民」について、実際の有権者を指すという考え方と、今この瞬間にその国の国籍を持つ人々だけでなく、過去から未来まで、あらゆる時代にその国の国籍を持つ人々のことを指すとする考え方に大きく二分されています。

 どちらの考え方によるとしても、選挙で投票するとき、私たちは自分たちの今の生活だけでなく、未来の日本国民の生活にも責任を負っているはずです。新たに選挙権を得た若い人たちには、未来をみすえた権利を行使してもらえればと思います。

フランスで実現した「男女二人一組」への投票

 国民のおよそ半数が女性である以上、国民を代表する人も両性がおよそ半数ずつであってよさそうですが、現実には日本で政治権力の担当者の圧倒的多数が男性です。衆議院議員選挙が行われた一昨年末の時点で、女性議員の割合は衆議院が9.5%、参議院が15.7%。9.5%は世界で後れを取っています(154位)。

 女性候補者の割合を定める「クオータ制」も、たびたび話題になります。女性議員率上昇に即効性がある手段ですが、「女性も立候補でき、女性も投票しているのだから今のままで問題ない」「能力や意欲のある男性の立候補を妨げる逆差別になりかねない」などの反対論があり、法律による強制的導入には困難があります。政党の自主的取組みを促す工夫が必要です。

 1789年の革命以降、フランスは国民主権のトップランナーを自任してきましたが、実は女性議員の割合がEU諸国の中で最も少ない国の一つでした。国民の多くが「このままではいけない」と思いながらも現実の壁は厚く、クオータ制も違憲であるとされていました。

 「ヨーロッパ審議会」という、人権や民主主義の擁護を目的とする国際機関が「男女同数(=パリテ)による民主主義」を提唱し、フェミニストがこのアイデアをフランスに広め、その実現が大統領有力候補者の公約になりました。

 1999年に憲法が改正され、パリテを実現する選挙制度改革が進みました。2015年には日本の県議会にあたる地方議会選挙で、「男女二人一組(およびその補充候補者の男女一組)」に対して投票が行われ、男女同数議会が出現しました。国会レベルでも、比例代表制で行われる選挙については候補者名簿登載順を男女交互に義務づける方法や、男女同数の候補者を擁立しないと政党助成金が減額される等の措置がとられていますが、制度上の抜け道や政治習慣もあって男女同数は実現していません。

 しかし「パリテ」によって、フランスの政治が大きく変わったことは確かです。

 「立候補する女性が見つからないのでは」という懸念も、実際には全く問題ないことが分かりました。女性議員が少ない一番の理由は、女性が立候補しづらい環境にありました。家族の反対や、議会における男性議員による女性議員に対する圧力や嫌がらせという問題は、日本だけではありません。フランスは世界に先んじて、制度変革を先行させることで、「女性が立候補しやすい環境」を実現したのです。

 政治について考えるとき、私たちは「それは現実的か」という観点にとらわれがちです。しかしフランス人のように、「理想的なのはどういう状態か」という観点も必要ではないでしょうか。国の仕組みやあり方を主権者である国民自身が考え、変えられることを「パリテ」は示しました。同様の法改正は、イタリアやベルギーでも実現しています。

「熟議」の機会を持ちましょう

 国民主権というと、国民が最終的に責任を負うことでもあります。だからこそ主権者である国民は、政府に全てを委ねないで、憲法を制定することで、個々人に各人が生きていくためのツールとして人権を留保し、防衛ラインを構築しました(基本的人権の保障)。その上で権力行使のあり方として、憲法に定められたことのみを行うというルールを設定したのです。平和主義は政府の権力行使を枠づける原理です。これが立憲主義の本質です。さらにこの権力は、主権者である国民が選挙でエネルギーを注入しなければ働かないのです(国民主権)。

 日本の18歳以上の選挙権の実現は、世界の趨勢に遅れました。他国では被選挙権の年齢も下がりつつあり、これからは「経験を積んだ人に頼む」というだけでなく、「自分たちの世代の代表が必要」という考え方も広がるかもしれません。

 一方、今回の法改正にあたっては、18、19歳からも「自分たちにはまだ早い」「日本人は特に幼い」といった戸惑いの声が上がりました。しかし意見を求められたり学校の授業で取り上げられたりしたことで、自分たちが持つ主権について真剣に考える機会になったことは間違いありません。

 私自身、18、19歳の時を振り返れば、政治や主権について深く考えていたわけではありません。法学を学び始めたのも、高校で受けた進路適性テストで出た結果がきっかけという、実に主体性のないものです。しかし大学で先生方や本と出会う中で興味関心を深め、研究者への道を歩むことになりました。私たちの世代は、女性が男性と同様に認められる仕事はきわめて限られていました。若い人たちには、きっかけは何であれ、学び続けることで道が開けることがあると伝えたいです。

 投票の瞬間だけでなく、当選させたい人を応援する、政治について語り合う、なども広い意味で主権の行使です。たとえば家族の間でも、政治が話題になってもよいのではないでしょうか。新たに選挙権を得た18、19歳が考え、ときに真剣に議論を交わしたように、私たち大人も民主主義や政治について、あらためて考え、熟議の機会を持つことをおすすめします。

 (取材=2016年2月29日/東北大学川内キャンパス 法学研究科研究棟5階 糠塚康江研究室にて)

研究者プロフィール

東北大学大学院 法学研究科 教授
専門=憲法学
糠塚 康江 先生

(ぬかつか・やすえ)1954年静岡県生まれ。静岡大学人文学部卒業。一橋大学大学院法学研究科博士課程。法学博士。スイス・ローザンヌ大学留学。一橋大学法学部助手、関東学院大学法学部講師、助教授、教授を経て、2013年より現職。
 著書に『現代代表制と民主主義』、『パリテの論理─男女共同参画の技法』、共著書に『憲法の基底と憲法論』など。

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