研究者インタビュー

主権者教育から見えてくる日本の問題

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宮城教育大学 教育学部 教授
専門=社会科教育学・カリキュラム論
吉田  剛 先生

学校で主権を学ぶ機会は少ない

 私が所属する「日本社会科教育学会」の全国研究大会が、昨年11月に宮城教育大学で開催されました。私は実行委員会の事務局長でしたが、主権者教育に関連する報告が例年になく多く、今年の夏から実施される「18歳選挙権」への関心の高まりを感じています。

 実は文部科学省も選挙を管轄する総務省も、主権者教育の内容について明示しているわけではありません。国や社会の問題を自分の問題として捉え、自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者を育てる、ということになると思いますが、私たち大人自身の低投票率の問題でも分かるとおり、こうした教育が難しいことは明らかです。

 日本の学校で、主権者教育を主に担ってきたのは社会科です。ただし中学校では「歴史」の内容がやや多いため、主権者教育を主に担う「公民」を学ぶのは3年生の夏休み前後から、という学校がほとんどです。年明けには受験が始まるため、公民を学ぶ時間はとても限られ、しかもその中で政治、経済、国際社会などについて一通りの知識を教えることが求められます。

 こうした状況は小学校の社会科や、高校の「政治・経済」「現代社会」でも変わりません。もちろん授業以外でも、学級会や生徒会選挙などを通して主権や社会参加について学ぶ機会はあります。しかし学校で主権者教育にかけられている時間は、きわめて少ないのが現実です。

 もちろん限られた時間をやりくりし、有意義で効果的な授業をしようという取り組みも、各地で熱心に行われています。昨年の日本社会科教育学会では、授業内で模擬市長選挙を行うなどの実践や授業プログラムの開発について、数多くの報告がありました。

 私自身も高校の教員として、「現代社会」や「倫理」を教えた経験を持っています。地域課題の解決策を考える授業では、生徒自身が地元の新聞記事をもとに道路計画や博物館新設の是非などのテーマを設定しての、活発な話し合いや報告がなされました。政治や社会参加について生徒自らが考える形での主権者教育には、大きな意義があると思います。

 社会科に限らず、単に先生が説明して知識を教えるのではなく、生徒が主体的に参加する授業のことを「アクティブ・ラーニング」と言います。これからの学校教育には欠かせない取り組みで、特に主権者教育のように、正解を探り当てるのではなく、自分たちで調べたり考えたりすること自体に意味がある内容では非常に有効です。

海外の教育から日本の教育を見る

 授業時間が少ないことの他にも、日本の学校における主権者教育にはいろいろと問題があります。授業は政治や選挙制度の仕組みの解説になりがちで、積極的に「アクティブ・ラーニング」に取り組む先生はまだわずかです。校内の試験も入学試験も知識を問う問題がほとんどで、私が仙台市内の高校で先生方とお話しした際も、「受験があるので、おっしゃるような授業は難しいのでは?」と言われてしまいました。

 しかし文部科学省は、従来型の学校教育では、日本が国際社会でこれまでのような地位を保つことは難しいという危機感を持っています。与えられた課題を正確にこなす能力よりも、課題そのものを見出し、それを解決できる能力が必要だというのです。大学入試センター試験も2020年度には、結論だけでなく考えるプロセスも問う、記述式を含んだ試験へと変わることになっています。

 情報通信技術が発達したことで、知識も情報も電子機器ですぐに調べられる時代になりました。今では学校にも、その知識や情報を活用して課題の解決に取り組む経験をさせる授業が求められているのです。

 「国民」という言葉が、共同体における主権のあり方を中心的なテーマの一つとしているのに対して、より広く、公共心や人間関係もテーマに含む言葉としては、「市民」という言葉が用いられてきました。広く社会を見渡す目を持ち、課題の解決に積極的に取り組むなどの、「市民」としての資質や能力を育てる教育は、「シチズンシップ教育」と呼ばれています。

 教育の国際比較も、私の研究テーマの一つです。たとえばシンガポールは政治体制としては一党独裁的であるため、活発に「主権者教育」が行われているとは言えません。しかし「シチズンシップ教育」には非常に熱心で、自分がシンガポール人であるという意識や、たとえ国外で暮らしたり働いたりすることになっても、シンガポールに貢献し続けることの大切さを、幼少時から大学まで一貫して教えています。何度も現地調査に行ったのですが、学校では知識よりも論理的な思考力が重視され、授業にはディスカッションがたくさん取り入れられていました。

 狭く資源にも恵まれない国で、多くの国民の生活を向上させ、維持するための教育内容ですから、単純に日本と比べることはできません。ただし日本の主権者教育には、発達段階を考えて構築された体系的なカリキュラムが明確にないことだけは確かです。

 選挙権が18歳まで広がったことを機に、主権者教育をこれまで以上に重視するのであれば、時間数の確保や教員の意識改革だけでなく、小・中・高を貫く系統だったカリキュラム作りが欠かせません。これは行政任せや現場の先生方に強いるのではなく、われわれ研究者もしっかりと担うべき仕事だと思っています。

新潟県中越地震と東日本大震災を経験

 私は新潟県中越地震と、東日本大震災の両方を経験しています。私の故郷は新潟県の中央部にある小千谷(おぢや)市で、2004年10月に発生した大地震では震度6強を記録しました。

 大学で教員免許を取得した後、勉強を続けるため大学院に進みましたが、研究者になろうと考えていたわけではありません。修了後に新潟県の高校教員になってからは、授業が上手くなりたい一心で教材研究に熱中しました。さらに勉強する必要を感じて、教員の立場のまま博士課程を修めます。新潟県教育委員会の求めに応じて、先進的な授業実践にも取り組みました。

 博士号の取得後、東京大学で教育心理学を学ぶ機会も得て、研究者の道も考えるようになりました。現場を離れたくない氣持ちも強かったのですが、新潟県中越地震の後で故郷に入り、惨状を目の当たりにしたことで踏み切ります。一つの学校だけでなく、国内外のより広い立場で関わることで、もっと教育に貢献したいと考えたのです。

 宮城教育大学で教員を養成する立場になり、2011年、東日本大震災に遭遇します。幸運にも自分や受け持ちの学生に、大きな被害はありませんでした。学生と共に津波に襲われた沿岸部に入って教育支援活動を行い、今もお手伝いを続けています。

 大学で学生たちに接していると、社会的な関心が低いと感じることが少なくありません。新聞を読んでいない、テレビのニュースも見ていないという学生も多く、教員を育てる立場としては心配になります。

 ですから選挙権が18歳まで広げられたことも、単純に喜べません。大学生だけでなく、高校や中学で授業させていただく時にも、社会参加の意識の弱さや、横並びの意識の強さを感じます。権利は主張しても、義務や責任を負うことには消極的です。しかし考えてみれば、これは私たち大人を含む、日本社会全体の問題でもあります。低投票率の問題が典型的ですが、主権者教育が必要なのは、子どもや若者だけではないのかもしれません。

 一方で東日本大震災では、学生たちは高い意識で支援活動に取り組んでくれました。行動力も見事で、身近に感じられる問題への関心は高く、積極性もあることが分かります。

 宮城教育大学は東北では唯一、教員養成を主な使命としている大学です。より良い教育のあり方を求めて研究を進める一方、学生たちがより広く社会に目を向け、政治に対しても、自分の考えで主体的に関わることができるよう指導していきたいと思っています。

 (取材=2016年3月8日/宮城教育大学 5号館3階 吉田研究室にて)

研究者プロフィール

宮城教育大学 教育学部 教授
専門=社会科教育学・カリキュラム論
吉田  剛  先生

(よしだ・つよし)新潟県生まれ。信州大学教育学部卒業。上越教育大学大学院修士課程学校教育研究科修了。新潟県立高等学校教諭として勤務しつつ、兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科博士課程修了。博士(学校教育学)。東京大学教育学部研究生修了。宮城教育大学准教授を経て、2013年より現職。
 著書に『公民教育事典』(日本公民教育学会編)、4月発刊予定の『社会科教育のルネサンス─実践知を求めて─』(ともに共著)など。

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